ハイチのことをもっと知って目を向けよう

法律: 政治 国際 ハイチ

2013年1月6日

私がこれから述べるハイチに関する本を、せめて1冊でも読むために時間を割いてほしい。また、そこから分かったことを、声をあげて伝えてほしい。見事な、しかも膨大な内容の議論が積み重なってきているが、それらは、「国際社会」(米国とその一握りの同盟国)が21世紀初頭以降、ハイチのエリート層と一緒になって、いかに凶悪で巧みな攻撃をハイチの民主主義にしかけたのか解き明かしてくれる。この攻撃は、地震がスキャンダラスなまでに放置され、ハイチを取り仕切る外国および国内エリート層が利権を強めるために地震さえをも利用している中でなお、世界の多数の人びとがハイチの人びとに善意を示したが、そうした中で今も続いている暴力なのである。ピーター・ホルワード著『Damming the Flood(洪水をせき止める)』は、2000年以降、「国際社会」がハイチに果たした役割について売り込まれていた嘘----今なお売り込まれている嘘----をことごとく論破している。残念なことにホルワードの著書は、2010年の地震で25万人もの犠牲者が出、ウィキリークスが米大使館の公電を公開するよりも前に書かれた。幸い、ハイチに関する2つの最新作、ジャスティン・ポデュールの『Haiti's New Dictatorship(ハイチの新たな独裁)』とジェブ・スプラーグの『Paramilitarism and the Assault on Democracy in Haiti(ハイチにおける準軍組織と民主主義への攻撃)』はホルワードの記述を最新のものとし、より詳細に説明している。

これらの著書が述べている非常に醜悪なストーリーは2000年に始まった。その年に行われた自由で公正な選挙は、「不正」であるとか「大きな欠陥がある」と中傷された。2000年には議会選挙と大統領選挙が行われ、ジャン=ベルトラン・アリスティドと彼が率いる政党「ラヴァラの家族」が地滑り的に勝利を収めた。ドミニカ共和国で立ち上げられた小規模だが凶悪なテロ活動が2000年から2004年にかけてハイチの反政府運動に弾みをつけた。「国際社会」と人権業界が見て見ぬふりをしているあいだに、致命的な奇襲攻撃がハイチに襲いかかった。テロリストがハイチを襲撃したその数年間、「国際社会」は民主的に選ばれたハイチの政権に対してきわめて厳しい経済制裁を科した。それと同時に、数千万ドルの支援がアリスティドの政敵に流れた。スプラーグが詳細に述べているように、テロリストが多数の政敵に資金を流していた。テロリストから身を守るためにハイチ政府が行った合法的な対策は「人権侵害」との非難を受けた。ヒューマン・ライツ・ウォッチや「国境なき記者団」、アムネスティー・インターナショナルなどのNGOは、有力なコネを持つハイチのマイノリティ、反アリスティド派にとって都合のよい手抜き調査の結果を発表して、制裁が妥当であるとみせかけることに貢献した。準軍組織の本拠地ドミニカ共和国はアリスティド政権に大きなダメージを与えたが、政権を転覆するに至らなかった。結局、アリスティド政権は米国、フランス、カナダの軍隊によって2004年2月29日に転覆させられた。米軍はアリスティドを深夜に中央アフリカへと送致した。一方、カナダ軍はハイチ国際空港を警備した。自分は誘拐されたのだというアリスティドの主張を正式に調査するよう国連に対して求めた要求を、米国と同盟国は簡単に拒否することに成功した。程なくして、米軍は、ブラジル、中国、その他数か国からなる「国連」ハイチ安定化ミッションMINUSTAH----いわゆる「国連平和維持活動」----に引き継がれた。

ジェラール・ラトルチュの独裁政権(2004年~2006年)下で、「ラヴァラの家族」の党員数千人が殺害された。この件に関して唯一科学的に行われた調査は、犠牲者の数は少なくとも4000人としている。実行犯は、主に準軍組織と、それまでドミニカ共和国を本拠地としていた数百人のテロリストで、彼らは、(米国の厳重な監視下のもとに)ハイチ国家警察に素早く改編されていた。国連軍(MINUSTAH)は武器を持たない反対派や無関係の人たちを大量虐殺した。汚い仕事の大半は、改編された国家警察と、MINUSTAHと手を組んだ脇役たる準軍組織が行った。

「国境なき記者団」は、ラトルチュ独裁政権下で行われた大量殺人を、報道の自由の勝利として囃し立てた。「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)」は2004年の政変後ハイチで激増した人権侵害についてほとんど触れることはなかった。西半球で最悪の人権侵害の記録がいとも簡単に塗り替えられているときに、HRWはベネズエラについて20倍もの非難を訴えていた----米国政府にしてみれば大歓迎に違いないが、モラルの観点からは全く弁解の余地はない行為である。HRWが、2004年後のハイチについて触れなかったことは、ラトルチュ独裁政権を正当化するには好都合であった。アムネスティー・インターナショナルはHRWよりはかなりましであったが、それでも、はるかに資金のない独立系研究者が簡単に明らかにした事実を、アムネスティーは見逃していた。政変後、アムネスティーはHRWが信頼を置いていた反アリスティド派の情報源(後に触れるRNDDDHなどの)とは徐々に距離を置くようになったが、MINUSTAHの凶悪な犯罪に対して、十分な裏付けがあったにもかかわらず、怖気づいてまともな批判をしなかった。

ジェブ・スプラーグの著書にはジュディス・ロイの事例が記されている。ロイは、2000年から2004年にかけてドミニカ共和国を本拠地とするテロリストに資金供与したハイチの富豪である。

今ではロイは準軍組織へ資金供与をしたことを認めているが、当時、彼女はすべての関与を否定していた。ロイはメディア筋で「野党活動家」と評されており、政治的暴力に共謀したとの政府による嫌疑を否定していた。

逮捕された後、ジュディス・C・ロイは世間の評判となった。NCHR[National Council for Human Rights] は、ロイの事例をアリスティド政府による弾圧であると発表した。今でも国際的メディアは、NCHR-Haiti(RNDDHとして知られる)を批判することもなく、信頼できる人権団体としている。アリスティド政権が倒れたとき(2004年2月末)、ロイは準軍組織によって釈放された。わずか8か月服役したのみであった。

ロイの名前はスプラーグの著書に出てくる多くの名前の一つにすぎない。彼の著書は、2004年のクーデター後、外国の監視下で激増した、対アリスティド派へのテロ行為を詳細に調査したものである。スプラーグは情報公開法を利用して情報開示請求を行い、無神経極まりない身も凍るようなハイチに関する評価を手に入れた。それは前駐ハイチ米国大使ジェームズ・フォーリーから出たものである。

「アリスティドがハイチの恵まれない民衆の(期待については言うまでもないが)政治的・社会的意識を永続的に高めることに成功したことで、次代の政治指導者たちがなだめたり、巧みに操作しなくてはならない勢力が形成されてしまったことはやはり確実に思われる。」

ハイチの多くの貧しい人びとが抱く「期待を操る」ことに用いられる戦略の一つが準軍組織のテロである。スプラーグは、2004年政変以前に米国がどのような方法で反アリスティドのテロを支援したのかを徹底的に調査している。スプラーグの結論は次の通りである。

「準軍組織に対する支援は、ハイチのエリート層やドミニカ共和国の外務省と国軍の高官から提供された。米国は、不安定情勢を作り出すという間接的な関与を通して準軍組織の戦略に手を貸した。ハイチに対する援助の禁止や野党への支援、FLRN(民族解放再建戦線)に隠れ家を提供しないようドミニカ共和国に圧力をかけることを数年間にわたり拒否したこと、1994年のアリスティド復帰以後、ハイチ国家警察に旧ハイチ軍の潜入を確保すること、ハイチ軍やトントン・マクート、「ハイチの進歩と発展のための戦線」の支援という米軍が歴史的に行ってきた政策をこれまでと同様に全面的に継続すること、などがあった。」

「国際社会」は結局ハイチの2006年選挙を認めた。アリスティドの政党「ラヴァラの家族」は立候補を認められなかった。それ以降に行われた選挙でも同様であった。しかし2006年の選挙では元大統領ルネ・プレヴァルが勝利した。彼はかつてアリスティドに近かった人物であり、2004年の政変にまんまと悪乗りする派閥に決して迎合することのない政治家であった。スプラーグの見解によれば、「2006年のルネ・プレヴァルの選挙勝利と、ギ・フィリップや実業家チャールズ・ベーカーのような候補者が獲得した一桁にすぎない支持は、2004年までにアリスティドが国民の支持を失ったというエリート層のプロパガンダにとどめを刺すものであった。」ジャスティン・ポデュールは、ウィキリークスが公表した米国大使館の公電を詳細に検討した著書で、2006年から2011年のプレヴァルの在任期間について簡潔かつ明晰な評価をしている。

プレヴァルはハイチの紛争を沈静化する方向に進め、米国が望むことから距離を置いた方針をとることもあった。彼がハイチの人びとに実際以上に貢献できなかったとの評価は、プレヴァルの政治姿勢を示しているよりもむしろ、ハイチの新たな独裁政治の構造的制約を示しているのである。

大使館公電によると、ルネ・プレヴァルは、アリスティド同様、米国にあまり譲歩しなければ、虚偽の疑惑によってしつこく攻撃されることになるとはっきり理解していた。ポデュールはアリスティドについての嘘が通用する「賞味期限」はかなり短かったと指摘しているが、これは鋭い洞察である。それにもかかわらず、これらの嘘はアリスティドを失脚させるために利用され、彼を数年間海外に追放することに成功したのである。

2010年に起きたハイチ地震への国際的な対応に関しても、ポデュールは非常に的確な判断を下している。NGOは10億ドル以上もの活動資金を手にした。ハイチで活動する海外NGOは、非ハイチ人に、同情と寛大な気持ちから振る舞う安易な手段を提供した。だがあいにく、こうしたNGOは、海外支援者を満足感に浸らせることはできたかもしれないが、恥ずかしいくらいハイチの人びとの役には立たなかった。ポデュールが挙げた事実は実に不快なものである。地震の一年後、民間の慈善団体に提供された金額の60パーセント以上が団体の口座に留まったままで利子を生んでいる。一方、地震によって家を失った約50万人のハイチ人が不潔な仮小屋にとり残されている。地震から1年、倒壊した家屋のうち修復されたのは約1パーセントにすぎない。

ハイチの人びとには、投票によりハイチからNGOを追放することはできないし、NGOを取り締まったり、よりましなNGOと取り替えることのできる政府を持っていない。極めて倒錯したことだが、ハイチで活動する国際NGOの中には、自らの既得権益のために、NGOに対してハイチの人びとへのより大きな透明性と説明責任を求めるようなハイチの主権に反対するところもあるのである。だがハイチの主権を尊重しながら目覚ましい成果をあげる海外NGOもある。分かりやすい例ではポール・ファーマーの「パートナーズ・イン・ヘルス」があるが、ハイチの外にいる人びとは、ホルワード、スプラーグ、ポデュールらによる著書を読んでこうした海外NGOについて知るべきである。

2011年、米国による脅迫のおかげで、保守派のミシェル・マルテリーが大統領に選出された。投票率は22パーセントに達しなかった。同年、「国際社会」が思い通りの成果をあげた結果にびっくりマークを加えるかのように、以前の独裁者ジャン=クロード・デュヴァリエがハイチに帰国した。ハイチを過去に引き戻そうとしたのであろう。彼は米国の支援を受けた独裁者で数万人ものハイチ人を殺害した責任を問われている。2010年のコレラの発生については、国連軍の過失が原因とされるが、国連軍はその責任を回避したままである。国連軍を有罪とする科学的根拠は確かなものだ。コレラの発生によって7000人以上のハイチ人が死亡した。ハイチでの国際社会の免責や堕落という見苦しいありさまは、上塗りされていく一方である。

スプラーグの本は、とりわけデュヴァリエ派のエリート層とその海外の同盟国との間に存在する軋轢について論じている。多くの理由から、デュヴァリエ派でさえハイチに対する外国の介入には不満があるのだ。

邪悪な外国の介入が明日にでもなくなれば、住民の圧倒的多数は深くはびこる国内のエリートとの厳しい戦いと向き合うことになるが、非暴力民衆運動が結局勝利を得ることを歴史は教えてくれる。外国の干渉はあったが、1990年以降、そのような運動は部分的ではあるが貴重な勝利を収めた。ハイチの民主化運動は完全に敗北してはいない。それは米国、カナダのような帝国主義国内の活発な民主化運動を一層発展させ、ハイチやその他世界中の貧困にあえぐ国々に対する外国による有害なお節介を止めることになるだろう。

 

2013-02-24 12:59:44 / ozawa
原文サイトを表示
[ 原文 ] http://www.zcommunications.org/make-a-donation-to-haiti-by-reading-and-speaking-up-about-it-by-joe-emersberger-1
サイトが基本的に翻訳推奨