聞けないはずだった高校の告別の辞

法律: 神戸女学院翻訳チーム

エヴァン・ヤングはコロラド州ログモントにあるツインピークス・チャーターアカデミー高校の今年の卒業生総代だった。5月16日、卒業式でエヴァンは告別の辞を行う予定だった。その週の始めにスピーチの原稿を、頼まれた通り校長に提出した。卒業式の直前にB・J・ブキャナン校長はエヴァンにスピーチをさせないことを伝えた。エヴァンはショックを受けた。彼は何日も練習していた。初めてスピーチで家族、クラスメイト、学校全体にゲイであることを公表しようとしていた。

しかし、B・J・ブキャナン校長はエヴァンにスピーチをする機会を絶対に与えなかった。校長は下書きを読んだ後にエヴァンの父に電話をし、エヴァンがゲイであることを話した。エヴァンは「デモクラシーナウ!」のニュースの時間に私に言った。「もしこの全体的な状況でもっとも私の気を動転させるものがあるなら、それはおそらくこのこと(自分より先に父親に話したこと)だろう。そして、それは校長が私のような立場にいる者に少しの敬意も理解もないことを示していると思う」。チャータースクールの理事会から公表された声明にはこう書かれていた。「スピーチの下書き(略)は個人の性的な問題への言及が含まれていた。これらの話題すべては卒業式のスピーチにふさわしいものでは決してない」

エヴァンは2週間後、やっとのことでスピーチをすることができた。地元のLGBT(性的少数者)弁護組織のアウト・ボルダーはエヴァンが他の場所でスピーチをすることを許可してもらえるように学校を説得しようとしたが、失敗した。そこでアウト・ボルダーは、ある家の裏庭でガーデンパーティを開催した。そこはエヴァンのスピーチを聞くために250人の人々でいっぱいになった。出席者の中の1人はボルダー/ログモントの地区選出の議員で、彼自身もゲイであるジャレッド・ポリス下院議員であり、米会議で初めてカミングアウトしたゲイペアレントだった。エヴァンは翌朝、私にこう言った。「すばらしかった。実はとても緊張しました。でも、私がスピーチをしたとき、みんながすべてを気に入ってくれたようで、ただすばらしかった」。彼は拍手喝采を浴びた。ポリスは地域社会に対する顕著で価値ある貢献に対し、エヴァンに特別な議会の表彰を贈呈した。

校長が検閲することを必要だと思い、アウト・ボルダーの行事で観客をものすごく感動させた言葉は何だったのだろう? 彼のスピーチは円熟したユーモアのセンスを見せ、冗談を多く取り入れた。しかし寛容と理解を求めた、非常に個人的な訴えでもあった。

 「真面目な話をすると、あなた方に打ち明けたいことがあります。すでに疑っていたかもしれませんが、私はこのことがみなさんの私に対する評価を変えないでほしいと願っています。私はゲイです」。エヴァンはスピーチでこう言った。「私が覚えている限りでは男の人に心をひかれていました。それに私は同性のほうが好きだから彼女がいたことはありません」

エヴァンは続けた。「このことは私の1番大きな秘密です。私はゲイです。誰かを不快にするかもしれないと分かっていました。でもそれが私なのです。うすうす気づいていたにしろ、大きなショックだったにしろ、みなさんはすでに知ってしまいました。私がこのスピーチを書いていたとき、このことが対立を引き起こし、ゲイの人々がステレオタイプで見られがちであることを考えて、告白するかどうかを延々と1人で思案していました。そして思いました。もし私がこのことを明らかにしたら、何度も何度もみなさんに謝って、私への考え方を変えないでほしいとお願いすべきだろうと。しかし、私はそのとき気付きました。そんなふうにしなくてもよい。すべきではない。もしこの学校で学んだことが1つあるならば、それはもし私たちが全くお互いに意見が食い違ったとしても、ずっと友達でいることができるということです」

ポリス議員は学校の理事会とセントブレンバレー校区に手紙を書き、エヴァンがスピーチを禁じられた件について調査を求めた。同校区教育委員会事務局長のデビー・ラマーズは、アウトボルダー主催のイベントでエヴァンのスピーチに立ち会った。「このようなことが起きたことを遺憾に思います。しかしエヴァンの両親に会い、彼のスピーチを聴けてよかったです。チャータースクールの措置は残念でした。一家は意に反して、世間の注目を浴びてしまいました」

ツインピークス・チャーターアカデミー高校のある場所は、1998年10月6日、ワイオミング州ララミーでゲイの若者マシュー・シェパードが誘拐され、リンチされた現場から100キロほどしか離れていない。シェパードが傷が原因で6日後に死亡したコロラド州フォート・コリンズの病院は、もっとログモントに近い。マシュー・シェパード殺害は世界的なニュースになり、ホモフォビア(同性愛嫌悪)の残虐性を明らかにした。シェパードが死亡したときエヴァン・ヤングはわずか2歳だった。寛容を求めるエヴァンのメッセージは、こうしたヘイトクライムに対する唯一の解決策だ。同級生も、家族も、そのメッセージを聞く必要があった。そしてエヴァンが沈黙させられたことへの抗議の声のおかげで、何百万もの人々が彼の言葉を聞くことになった。

 2016-04-11 16:01:02 / tkkobe
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[ 原文 ] http://www.democracynow.org/blog/2015/6/4/the_high_school_valedictory_address_you
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