ポーランド

法律: 神戸女学院翻訳チーム

はじめに

20世紀はポーランドにとって破壊的な時代であった。第2次世界大戦が勃発し、ポーランドはドイツとソ連に侵略されていた。1989年になって初めて、ポーランドはソ連から独立し、占領されていた領土を回復し始めた。

現代のポーランドの観光名所は時に心をかき乱す。オシフィエンチム(ドイツ語名であるアウシュビッツの方がよく知られている)はナチス最大の強制収容所であった。おおよそ400万もの人々がその場所で虐殺されている。ポーランドの首都であるワルシャワは恐ろしい打撃を受けた戦地となった。戦争が終わり、街は戦前の状態に復元されたが、戦争の残酷な破壊の記憶は今もなお、生き続けている。

しかし、ありがたいことに、ポーランドには喜ばしいこともいくつかある。ポーランドの南部に位置するタトラ山は、観光客を引き付ける場所である。なぜなら、古い伝統が続いている素晴らしい村や町が集まっていることはもちろん、スキーやハイキング、洞窟探検ができ、たっぷり楽しめるからだ。

略史

先史時代の大部分は、ポーランドにスラブ系のさまざまな人々がいた。最も初期のポーランドにある考古学の遺跡はビスクピン住居跡である。 そこは紀元前700年ごろに人々が住むようになった。ミェシュコ1世がカトリック教徒となり、カトリックを新しい国教にした紀元後966年に、ポーランドは王国として誕生した。数世紀にわたり人口の大多数がカトリックに改宗した。崩壊と再結合を繰り返し、1385年にヤゲウォ朝ができた。 この時期、多くのユダヤ人の人々がポーランドに移住した。それと同時に、ポーランドは幸い、当時ヨーロッパ各地で大流行していたペストの恐怖を免れることができた。

1385年から1569年まで続いたヤギェウォ朝時代に、ポーランドはリトアニア大公国と合併した。この合併は科学と芸術の分野において、さまざまな素晴らしい飛躍をもたらした。なぜなら、ローマ・カトリック教会が寛大な姿勢をとっていたからである。そしてニコラウス・コペルニクスのように活躍する人々が出てきた。1569年にポーランド・リトアニア共和国が誕生し、1795年まで存続した。この同盟によりポーランドは、勢力のあるヨーロッパ最大の国となった。しかし不幸なことに、最後のほうになると国は内部から衰退し始め、ついには崩壊してしまった。そしてポーランドは隣国によってバラバラに分割されたのである。

再統一されたポーランドは、第一次世界大戦が終わるまで、再び現れることはなかった。第一次世界大戦が終わると、第二ポーランド共和国が誕生し、1918年から1939年まで存在していた。そしてポーランドは、第二次世界大戦の初めにナチス・ドイツとソ連によって侵攻され、滅ぼされたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 2016-07-12 15:08:38 / tkkobe
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