自分でやる、フェミニストのインターネット:ラテンアメリカから、サイバー・フェミニストの行動

自分でやる、フェミニストのインターネット:ラテンアメリカから、サイバー・フェミニストの行動

2016年5月19日

フロレンシア・ゴールズマン

私は何十もの観点とアプローチからこの万華鏡のようなネットワークをじっと見つめようとしてきた。

この調査記事は「フェミニストのインターネット」をともにつくり上げるだけでなく議論し続けたいという望みから生じている。私が初めてフェミニストのインターネットについて聞いたのは、世界中から活動家たちが集まった2014年の東南アジアでのことだった。それから、2015年7月にマレーシアで行われた次の会議に、ラテンアメリカやインド、アフリカ、ヨーロッパ、アラブの女性たちと一緒に参加した。

この記録は一人称で書かれている。それは文体の理由からだけでなく、政治的で、肉体的で、フェミニストとトランスフェミニストの要求によって異議を唱えられ突きつけられたインターネットを想像することに関する、私の個人的な探究を反映するものだからである。私は何十もの観点とアプローチからこの万華鏡のようなネットワークをじっと見つめようとしてきた。この意思が私に刻み込まれたのは、世界中からフェミニストのサイバー活動家たちやサイバー・フェミニスト、コミュニケータ、人権の擁護者たちが一緒になり、私たちの想像するフェミニストのインターネットのようなものについて議論した多くの会議に参加した後のことだった。

私のフェミニズムは多くの一般に受け入れられている真理を問い直す必要性を具体化する。なぜ女性や性的に異なる人々はテクノロジーの遅参者となるのか? ウェブを利用しながら、私たちはウェブを問い直しているだろうか? その仮面は何であり、何を隠しているのか? 予想可能なものから離れて動かすために、ネット上で自らの素性をどれだけ誇張できるのか? 特権的な人に制限されているように見えるこの知識をどのようにして翻訳して、明確に説明して、共有することが出来るのか?

これらの問いに答える良い方法は、実践の中で----私自身や他の人が----どのように答えてきたかを見ること、そしてこれを地域横断的なやり方で行うことである:社会階層や出身、年齢、経歴、民族人種的立場、性的指向を考慮に入れて。私は、何も前提としない状態で私の書くことが受け取られる状態にする様々な方法について考えようとする。私はコードを公開したいし、誰でもアクセスできる言語を使いたい。私の場合、読みやすくはない問題を広めることに意欲をもっている。

そのようなプロジェクトの一端として、数カ月前、私は共同著作の取り組みについて広めた。書くことだけでなく、出来る限り多くの手段でも表現するべきだと提案した:ポッドキャストやデザイン、アニメーション、ビデオ、詩、パフォーマンス、デジタル・セキュリティのワークショップ。今までのところ、ホンジュラスとアルゼンチン、メキシコ、ボリビアのサイバー・フェミニストたちと、より参加型のインターネットを作るための知識と意見、願いを共有してきた。私は文書と画像のオンラインのコラム記事をLibres Locas Labに寄稿しており、コンピューターの画面から外へ出て、討論会や活動家たちのためのワークショップ、トランス/フェムのハッキングイベントでのプレゼンテーションに加わることを目指してきた。

その考えは、テクノロジーと身体、デジタルツール(アプリケーションやプラットフォーム、ハードウェア、ソフトウェア)の表面的な関係に積極的に穴を開け続けるために、論争とpendrives、暴力、セクシュアリティ、自由論者の要求、複数のアイデンティティ、暗号化メールを結びつけ続けるためのものである。インターネットとは何か? フェミニズムが意味するものとは? どのようにしてテクノロジーと私たちの関係性を政治的に論じることが出来るのか? ここから先は、私たちがともに問うていく。

より寛容に、より政治的に、仰々しさは控えて

今までのところ、サイバー・フェミニストの論争に関する私の個人的な経験から見ると、私は大胆にも、フェミニストのインターネットは共同で構築されるべきであり、反発や不快な(それと同時に必要な)問いを包含するものでなければならないということを出発点とすることを提案している。フェミニストのインターネットを想像することはまた、私たちを取り巻く、私たちの使用するツールの変質をもたらす。それは世界に関する私たちの知識を人工的に置き換える小道具となったが、同時に、私たちがそれらを広げ、それらを覆っていた蓋を回して開け、中を覗き込めるようにした。

共同の答えにたどり着くために、芸術や文化、行動主義の全く異なる分野の仲間や活動家、「有力者」たちと話をして、どうすれば女性が創造的で刺激的なやり方でテクノロジーに関わることが出来ると思うかについて尋ねた。3つのラジオ放送局やミニコミ誌、フェスティバル、自主的に組織されたFemHacksから、これらの活動家たちは芸術とテクノロジーを結びつけ、テクノロジーの脱構築と再構築を提案している。

bruna zはブラジルのラジオプロデューサーであり、フェミニストの観点でフリー・ソフトウェアに取り組み、ジャーナリズムのワークショップを教えている。サンパウロ州内部から、彼女は営利目的ではないコミュニティのフリーのラジオ局を率いている(それは今日に至るまで許可のない放送として法的な迫害を受けている)。brunaは、女性とトランスの人々が参加したテクノロジーの創造的で挑戦的な利用は「多くの前線での活動」に関係すると信じている。これは次のことを意味する。「人々の集団を強くするために既存のテクノロジーを使いますが、これらのテクノロジーを調査し、ハッキングもします。私たちはテクノロジーを出来合いの、所与の、発達のないものとして受け入れるべきではありません;技術者であったり卒業証書や大学院の学位をもっていたりしない限り、私たちにはいじることのできないものだと思うべきでもありません。私たちみんなのものであり、私たちが使うべきものです。それはそこにあり、集団を強くし、人々が楽しむことのできる仲の良い生活を可能にします。これは受動的な協調ではなく、様々に交錯するフェミニズムにともに参加することで構築されなければならないものであり、それは今日では困難なものです。その困難はブラジルで非常にはっきりとわかるもので、ときに人々を分離する影響をもちます。その考えは、テクノロジーに関与し、それに私的な意味を与えるためのハッキングに携わるためのものであり、それがなんのために作られたのかを理解するため、そして、打倒し、学び、新たな形式を生み出すために役に立つことを理解するためのものです。一言で言えば、フリーのラジオとテレビの番組を生み出すためです」。

フェミニストのインターネットを想像したことがあるか尋ねると、brunaはこう言った:「インターネットがいまだ私たちの政治やミクロ政治のやり方を変えたことがないという意味では、インターネットがよりフェミニストになることが出来るのかどうか私にはわかりません。そしてまた. . . それは、悪いことやヘイト・スピーチ、偏見、人種差別を促進する手助けをしているだけのように見えます。公の協議のための空間や女性の権利と人権に影響を与える公共政策に参加するための空間になるのではなく。これらの目的のためには全く利用されていません。誰かを選ぶためだけの、選挙の道具としてしか使われていません」。

私が想像することの出来る唯一の方法は、それらをハッキングしてそれぞれ作りなおすという意味でテクノロジーを合わせることによってだけではなく、それらの空間を占拠してフェミニストの観点から新たなテクノロジーを改めて創りだすことによっても、それらの関係をばらばらにすることです。

保守的傾向にbrunaは不満を述べているが、彼女は確かにフェミニストのインターネットを想像できている。「フェミニストのインターネットは女性によって作られたインターネットです。多くの力をもつネクタイを締めた白人男性による支配から生じたすべてのものを保ち続けるという意味で、そして、大勢の人々(フェミニストを含む)を消尽し、勢力関係と関係がないどのような要求も究極的に飲み込むその力のために、インターネットはとても悪意のある環境や大変な機能主義になるときがあります。そういうわけで、私が想像することの出来る唯一の方法は、それらをハッキングしてそれぞれ作りなおすという意味でテクノロジーを合わせることによってだけではなく、それらの空間を占拠してフェミニストの観点から新たなテクノロジーを改めて創りだすことによっても、それらの関係をばらばらにすることです」。必ずしもトランスの女性になる必要はなく、様々な人々が現実的代案の論理を生み出そうとしているだけである。

Geisa Santosは、ブラジルのバイア州サルバドールにあるフリーのテクノロジーのための空間であるRaúl Hacker Clubの最も活動的な女性メンバーの一人である。彼女の行動主義はそこだけでなく、Wikipedia Editatonasや、数ある中でもRail GirlsPyladiesのような若いプログラマのためのトレーニングイベントの推進力となっている。「私は今、女性とプログラミングに関するいくつかのイニシアチブに取り組んでいます。これが必要だと感じたので。テクノロジーは女性に取り囲まれるべきであり、技術的な背景の一端に触れなければならないという基本からはじめました。なぜなら、テクノロジーはみんなのためのものであるにもかかわらず、残念ながら、女性の場合はこれが必ずしも当てはまるとは限らないからです。私は10代向けのいくつかの活動を組織していて、12歳から25歳の少女や若い女性とともに活動するとても良い経験となっています。日常生活の中でテクノロジーを使えることを彼女たちに示してみせることが出来るときは素晴らしいです」。

彼女たちがテレビの中に彼女たち自身のことを反映させたものを見ることはありません。なぜなら、誰も彼女たちの年齢層向けのコンテンツを作っていませんし、彼女たちの参加を求めることもないからです。でも、インターネット上では、その空間を創ることが出来ます。

Geisaの意見では、重要な点はウェブサイトを作るだけでなく、若い女性たちに彼女たちの日々の問題を解決することが出来ると示すことであり、「あらゆる少女がそのブログで望む効果を書き込んだりデザインをいじったりして、文学を論じるためにブログを作ること」によってであろうとなかろうと、創造性を刺激することである。だから彼女は多くの様々なフリーのソフトウェアツールを使い、彼女たちが画像に印や効果をつける方法を学べるようにしている。「面白いことが起こってきました。ある少女はビデオのチャンネルを作り、彼女のビデオに対する人の反応を観察し、どのように改良できるかを考え、効果を足し、サウンドトラックを改善し、ビデオから音声を切り離すなどしました。他の若い女性は詩を作りはじめました。以前は紙やテキストファイルに詩を書くだけでしたが、今ではインターネット上に書いたものを広げ始めました。私は彼女に、テクノロジーを利用して詩を書いたり芸術作品を創作している他の芸術家たちを見せました。彼女は貼り付け式の転写紙で通りのポスターを再利用したコラージュを作りました。学校で作品を見せたとき、少女たちはフィードバックとコメントをもらい、他の人々とふれあいました。もちろん、意地の悪い人もいますが、大多数は支えとなる人々で、これは、彼女たちの自尊心を高める非常に良い方法です。ウェブとテレビの熱心な利用者のため、彼女たちはこれらのメディア上で自分自身を見始めます。けれど、彼女たちがテレビの中に彼女たち自身のことを反映させたものを見ることはありません。なぜなら、誰も彼女たちの年齢層向けのコンテンツを作っていませんし、彼女たちの参加を求めることもないからです。でも、インターネット上では、その空間を創ることが出来ます」。

Geisaは表面下に見える重要な例を出した。彼女は次のように話した。「私が作った活動の一つは、プログラミングが実際にどのように動くかを見せるためのものでした。なぜなら参加した少女たちの多くはコードが動くのを今まで見たことがなかったからです;それで彼女たちはページのソースコードをクリックし始め、それがどのように動くのかを見ます。それをちょうどうまくやるのに非常に良い方法だとわかったのは、ゲームを通して、プログラムが動くことを見ることです。はじめに、彼女たちがプログラミングの論理を理解する手助けをします。アルゴリズムの動き方を学生たちがつかめるようにして、アルゴリズムはレシピのようなものだと彼女たちが気付くようにします。それから、これを段階的に説明し、実生活と結びつけます」。

Geisaの使う例は参加者たちの日常生活から描き出されている。「私は少女たちがテレビで見ているものや読んでいるもの、聞いているものを調べるのにしばらく時間を使いました。というのも、彼女たちのニーズはこれとつながっているからです。少女たちは本当にゲームが好きで、その楽しさから、彼女たちは『そのゲームは男の子用』という考えに疑問を投げかけ、実際のところ、そのようなものとしてゲームを販売しているのは広告であると見抜くようになりました。広告は特定の観客にむけられていますが、彼女たちが剣士や勇者で遊び始めれば、それらのゲームは彼女たちもまた遊ぶことができ、楽しむことの出来るものだと気づきます。そのとき、わたしたちはそれらの虚像を打ち破り始めたのです」。

自分でやる(フェミニストのインターネット)

インターネットは私たちの多くにとって様々な性的アイデンティティと、性と生殖に関する健康の権利について調査する足がかりとなってきた。それはまた、フリーでオープンでアクセスの容易なツールを通して、それが通常代表している欲望の性質と方法について疑問を呈する、私たち自身の話を構築する機会を私たちに提供する。例えば、インターネット上のポスト・ポルノグラフィからのインスピレーションは、Laura Milano研究者によれば、「喜びについての新たな物語を生み出すための工場」へとそれを変えることになりうる。

Lucía Egañaは@lucysombraでよく知られており、フェミニストの研究者であり、作家であり、芸術家である。彼女は変わった観点(少なくとも今までそれほど知られていなかった観点)から身体とセクシュアリティ、テクノロジーの間の関係性についての調査に何年も費やしてきた。彼女は狭く定義されることを好んでおらず、直線的なアプローチによってよりもむしろ詩的な断片の中の多面的なプロフィールにアクセスすることを私たちに望んでいるが、フェミニストがインターネットを利用できる使用法について彼女の意見を示してくれた。

対話はインターネットと、私たちの身体とアイデンティティが予測不可能な方法で「分割」されることに集中し、私たち自身についての知覚を再考させた。インターネットは私たちにトランスフェミニズムのような他のタイプのフェミニズムと近しく関わりあう機会を与え、それは新たなテクノロジーと手をとり合い、欲望の多くの側面と性的行為の境界の創造的なぼやかしについて探索している。

「ポルノグラフィを作り出す、あるいは他の種類のポルノグラフィの文脈で、例えば、Muestra Marranaフェスティバルでの私のとても具体的で個人的な体験では、自分でやるという呼びかけのビデオは最も興味深いものでした。このセクションで必須とされる質やフォーマットの基準はありません。参加者たちは主題を決める前に、ビデオの作り方を知りたいと思います:どうやって編集するのか尋ねたり、これこれのオペレーティングシステムをもっていると話したりします。多くの人々はフリーのソフトウェアでビデオを編集し始めます(それが大きな達成感の源となります)。ビデオはフリー・ライセンスでなければなりません;これは条件ではありませんが、フェスティバルに著作権で保護されたビデオを提出するのはとても難しいでしょう。ビデオ制作者がフリー・ライセンスを使っていれば、はるかに簡単です。これはフリー・ライセンスの音楽のトラフィックの交換のようなものを切り開き、それはある種の視聴覚製品の回路を作り出します。それは通常起きるものとは異なり、その中で人々が自らの身体と最も基本的な端末とともに存在し、活動する方法を育てます。多くのビデオは、ほとんどの人がもっている携帯電話を使って作られていて、あまりよくはないコンピュータを使って編集されています。フェミニストの実践は、個人的な経験から語られた物語によって大きな影響力をもちうると私は考えていますが、それは集団的に共鳴する能力をもっています。身体とセクシュアリティに関係する問題は現代において非常に重要です。それらはすべての女性が経験したことのあるものであり、私たちがどのようになるべきで何をするべきかについて、ずけずけと教えこもうとする重苦しいセクシュアリティとシステムについての経験です。なので、社会的規範のシステムの脱構築はどのようなものであれ、あらゆる人々に共鳴するものであり、個人的な経験から生じたものであったときでさえ、そうです。フェスティバルで、そして私たちが受け取った素材の中で、人々は自らの身体と2、3人の友人の身体、あるいは偶然そこにいた一人の友人とともに、活動しています。それは全てとても手作りのものです。

Lucíaは続けてこう話した:「これらのビデオがウイルスとなりえるかはわかりません。なぜなら、それらをオンラインに置くことはとても難しいからです。今日のネットワーク・システムにとってそれらは扱いに注意を要するものであるため、ネットワーク上にそれらを置くことは困難です。その一方で、多くの自主的なサーバーは営利のプラットホームと同じウイルス容量を持っていないため、それが問題です。ですが、これは潜在的効果をもった非常に重要な実践だと強く思っています。たとえミクロ政治的レベルで誰かがビデオを作り始めたとしても。誰かがその中で自身の身体とともにビデオを作り始めるときにはなおさらそうです。影響について考えるとき、私はマクロ政治的な例や大きな例について考えがちで、そのとき実際の影響は具体的な生活、経験の中で起きています。私たちの経験は機械やテクノロジー、メディアによって変えられていて、それらは現在、私たちの人工器官としての機能を果たしていると私は考えています。」

最後に、Luciaの考えでは、フェミニストのインターネットは一種のエコロジー的バランスを必要とする。彼女はインターネットがより安全で思いやりのある場所、コンテンツの搾取と制作により注意した空間になることを望む。「別の言葉で言えば、情報の一部分を広めたいなら、何度も繰り返してそれを投稿することができますが、そこにはエコロジーに対する無関心があります;使い尽くされる電気の量について話しているわけではなく、画像のエコロジーです。500,000の画像を見るなら、それらの何一つとして他のものよりも多くの印象を与えることはないでしょう。コンテンツは過剰に生産され、とても真面目な方法でコンテンツにアクセスする人は誰もいません。私には、それはエコロジー的問題に思えます」。

Anamhooはメキシコ人で、Acción Directa Autogestivaという集団に属している。フェミニズムとテクノロジーの創造的な形について話すとき、彼女はフェミニストは「完全に実践的で創造的なやり方で自らをかかわらせる」と話し、例としてブログを書くおばあちゃんのBertaの話をした。「ほとんど何の使い方もわからないと彼女がよく言っていたのを覚えています。ブログポストの書き方を見せられて、そのときはじめて、若いときに話せなかった非常に多くの話を伝えることが出来ると彼女は気づいたのです。そして彼女は、それらの話を伝えることをもとにしてブログをはじめました。その瞬間、女性は自らの手にテクノロジーを握り、どのようなものに使うことが出来るかを考え始めます。そのときにこそ、意見を持ち、想像を伝え、ネットワークの一部となる無数の方法があるということを、彼女たちは発見します」。

Anamhooの活動の文脈では、コミュニケートに対する差し迫った必要性はわかりやすい。なぜなら、「存在する、あるいは直観的に感じ取れるすべての能力についての徹底的な調査への多くの抵抗と恐れがあります。女性は自らの考えを十分に展開するよう推奨される必要があります。これはテクノロジーが女性の感じ方を作ることと関係があります。私は、最も創造的なことは、レズビアンやフェミニストの観点からメッセージを伝えることが出来ることだと考えています。巨大プロジェクトに抵抗している女性たちと一緒に活動してもいて、彼女たちの取り組みの話を伝えたり、彼女たちに起きていることについて話したり、また、様々な抵抗運動の中にいる女性たちの間でのコミュニケーションを進めたりしています。おそらく、私の状況においてそれほど多くの技術移転は起きていないでしょう。とても保守的な町に住んでいるため、最新のガジェットやツールを受け取ることはありません。知識転移に取り組むための代わりとなる空間に加わる、電子機器やコンピュータ・サイエンスの教育を受けた多くの女性がいるわけでもありません。他の空間と比べて、非常に初期の段階にいると感じています」。

創造的な使用について、Anamhoo----フリーなソフトウェア・ツールに関するトレーニング・ワークショップを行ってもいる----は、オンラインラジオ局の活用可能性は極めて創造的だと話し、「それらは段々とフリーでより実験的なソフトウェアへと移行しつつあります。一度女性たちがラジオ番組を作る能力を得たなら、彼女たちを止めることはできません」。

これらは活動的なサイバー・フェミニスト運動の幾人かの代表者たちの声である。彼女たち自身の個人的なやり方で、彼女たちは権力構造に異議を唱え、疑問を呈し、それらをひっくり返す。討論を追いかけ、解体し、玉ねぎのように皮を剥くこと、そして、より多くの機会があり、あらゆる形の公正さを備え、もはや暴力のない、ビットとバイトで、血と肉とで出来た世界へと向かってともに歩くことは、私たち全員に委ねられている。

この記事は空港と、エルサルバドルやグアテマラ、ニカラグア、サンパウロ、パナマの上空を飛ぶ飛行機の中で書かれた。ビデオは、フリーのソフトウェアと知識欲、焦り、不安定さ、Lucia Egañaの指導、不調和なサウンドトラック、即興の翻訳、そして何よりも、私の人生を(より)刺激的な問いでいっぱいにした女性たちの並はずれた参加と連帯によって編集された。

【訳注:最後の段落に記されている「ビデオ」というのは、原文記事のスペイン語版(http://www.genderit.org/es/articles/internet-feminista-para-armar-acciones-ciberfeministas-desde-latinoam-rica)に添付されている4つの映像のことかと思います。英語版には添付されていないようです】。

 2016-07-22 08:21:52 / shikimi
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[ 原文 ] http://www.genderit.org/node/4743/
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